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小説 フォレスト中小企業診断士事務所~伴走者たちの協奏曲~第55話

第55話: 経営(ビジネス)という名の壁


アクアヘアの店内には、以前にも増して活気と笑顔が満ち溢れていた。SNS戦略の成功、そしてスタッフたちのロイヤリティ向上への取り組みが実を結び、店の経営は着実に上向いていた。しかし、オーナースタイリストの相良莉子にとって、経営という「ビジネス」の壁は、依然として高くそびえ立っていた。目の前には、売上管理、顧客管理、人材育成、そして城南開発の堀田からの執拗な圧力…解決すべき課題は山積していた。


フォレスト中小企業診断士事務所では、アクアヘアの進捗報告が行われていた。

「スタッフの皆さんの意識が大きく変わってきました」比嘉が報告する。「莉子の指導にも熱が入り、アシスタントの技術も目に見えて向上しています。お客様からの評価も上がり、リピート率も上がってきました」

エリカも頷く。「SNSのエンゲージメントもさらに高まっています。『アクアヘアの皆さん、みんな素敵!』というコメントも増えてきて、チームとしての魅力が伝わっているようです」タカシは数字の資料を指し示した。「売上は大幅に改善し、利益率も上がってきています。簡易的な収支表も、比嘉さんが毎日きちんとつけてくれていますし、資金繰りの状況も以前よりは明確になりました」。


しかし、莉子の表情は、どこか晴れないものがあった。

「でも…これだけのことを、私が全部把握して、指示を出していかなきゃいけないんですよね?」莉子の声は、不安そうに震えていた。「カリスマ美容師として、ハサミを持つことには自信があります。でも、経営って、こんなにやることが多いなんて…本当に、私にできるんでしょうか…?」

彼女は、自分の技術さえ磨いていれば良いと信じてきた。しかし、経営者として向き合うべき現実は、あまりにも複雑で、多岐にわたる。技術者としてのプライドと、経営者としての未熟さの間で、莉子は激しく葛藤していた。


タカシは、莉子の不安な気持ちを理解しつつも、冷静に数字の現実を突きつけた。「相良さん、堀田からの圧力は、アクアヘアの経営が脆いと見抜いているからです。感情論では、彼らは動きません。数字で、アクアヘアが『価値のある企業』であることを示さなければ、彼らの圧力に抗うことはできません」

「でも…私、数字、本当に苦手で…」莉子は、頭を抱える。タカシがどんなに丁寧に説明しても、数字の羅列は彼女にとって、まるで呪文のようにしか聞こえない時があった。


エリカは、莉子の葛藤を目の当たりにし、自身の父親の姿を重ねていた。渡辺木工所が倒産した時、父は一流の技術者だったにもかかわらず、経営の知識が追いつかず、為す術もなく追い詰められていった。従業員を守れなかった父の苦悩を、エリカは鮮明に覚えていた。莉子もまた、素晴らしい技術を持っている。しかし、経営という名の壁に阻まれ、大切なスタッフや、お客様を守ることができなくなるのではないか――その不安が、エリカの心を締め付けた。


「相良さん、大丈夫です」エリカは、優しく莉子の肩に手を置いた。「私たちは、相良さんが一人で全部抱え込まずに済むように、伴走しているんです。相良さんは、技術者として、お客様を輝かせ続けてください。経営の部分は私たちがサポートしますし、比嘉さんをはじめスタッフのみなさんもいらっしゃいます。」

エリカは、SNSでの発信を通じて、莉子の内面的な変化を顧客に伝えることを試みた。彼女が数字と格闘する姿、スタッフと共に成長しようと努力する姿…それらをストーリーとして発信することで、アクアヘアは単なる美容室ではなく、困難に立ち向かう「人間ドラマ」を体現する存在として、顧客からの共感をさらに深めていった。


比嘉は、莉子の隣で献身的に支え続けた。莉子が数字に頭を抱えれば、代わりにタカシに質問し、莉子がスタッフとのコミュニケーションに悩めば、間に入って橋渡しをする。彼自身も、慣れない経営業務に悪戦苦闘していたが、莉子を守りたいという一心で、必死に食らいついていた。


そうした状況にあるなか、SNSに見知らぬ人物からコメントがつくようになった。

「アクアヘアは実は経営が厳しいらしい」

「相良莉子はパワハラ気質で辞める人も多いらしい」

など、誹謗中傷ともとれる内容が目立つようになってきた。


小池は危機感を募らせた。

「これは、彼らの仕業に違いない」小池は、タカシとエリカに告げた。

「アクアヘアの内部を攪乱し、莉子さんの精神的な負担を増やそうとしているんだ」

タカシは、冷静に分析した。「数字が改善傾向にあるとはいえ、まだ盤石ではありません。こうした噂が広まれば、銀行からの融資や新たな協業の話にも影響が出かねません」

エリカは、怒りに震えながらも、冷静に対処しようと努めた。「SNSで、事実無根の噂を打ち消す発信を強化しましょう。アクアヘアの透明性と、スタッフの皆さんの努力を、積極的に伝えていきます」


しかし、莉子自身は、そうした噂に心を痛めていた。お客様からの「アクアヘアさん、大丈夫ですか?」という心配の声が、彼女をさらに追い詰める。

「私が…経営者として、もっとしっかりしないと…」莉子は、焦燥感に駆られ、一人で全てを抱え込もうとする。夜遅くまで一人で数字を眺め、頭を抱える日が増えていた。比嘉がどんなに寄り添おうとしても、莉子は「私がやらなきゃ」と、彼の助けさえも拒むようになった。


その頃、城南開発の堀田は、三宅に状況を報告していた。

「アクアヘアは、予想以上に抵抗しています。しかし、オーナーは経営の素人。時間の問題でしょう」

三宅は、堀田の報告に満足げな表情を浮かべた。彼らの目的は、単なる地上げではない。駅前再開発という巨大なプロジェクトを成功させるためには、邪魔な存在は全て排除する必要がある。そして、その背後には城南開発社長の白波の強大な権力と、街全体の利権を牛耳るという野望が控えていた。


小池は、莉子の孤立に危機感を覚えていた。かつて、渡辺木工所の社長も、一人で悩みを抱え込み、最終的に破綻へと至った。同じ過ちを繰り返してはならない。

「莉子さんを、一人にしてはいけない」小池は、強く心に誓った。

フォレスト事務所は、莉子が直面する経営の壁、そして堀田からの冷徹な圧力に対し、さらなる伴走支援を強化することを決意する。技術者の絆、SNSでの発信力、そして何よりも莉子自身の「経営者」としての成長が、この巨大な壁を乗り越える鍵となるだろう。アクアヘアの戦いは、今、正念場を迎えようとしていた。


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