top of page

小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第43話



第43話「小池診断士が背負う過去 - 渡辺木工所の記憶」


 夜のフォレスト中小企業診断士事務所は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。デスクには書類の山、パソコンのモニターの光だけが薄暗い室内を照らしている。その一角で、小池は一人、光永精工の資料を読み込みながら何度もページをめくっていた。

 長尺旋盤の可能性を見出したものの、当面の運転資金と営業の改革が急務。日中はそこに集中して提案を練ってきたが、小池の表情には晴れないものが残っている。机の端に置かれたファイルには「渡辺木工所」とマーカーで記されたラベルが貼られていた。


(あのとき、もっと踏み込んでいれば、違う未来があったんじゃないか――)


 小池の脳裏に浮かぶのは、自分がまだ金融機関の融資係長として多忙を極めていて、顧客訪問が疎かになっていた頃のことだ。長年の社歴を誇る渡辺木工所が資金繰りに窮し、倒産に至るまでの記憶が、未だに胸を締めつける。


 当時、小池は初めて融資係長の職に就き、多くの企業を担当していた。書類作成や決裁の手続き、本部への報告や部下指導などに追われる中で、顧客訪問が疎かになっていた。忙しさに流され、現場を見に行く回数が減り、経営者がどれほど追いつめられているか肌で感じ取れなくなっていたのだ。


 結局、融資の相談を受けることなく倒産へ向かうこととなった。その報を受けたとき、小池は愕然とした。


(できたことがあったはずだった――)

 頭を抱え込むようにしてファイルをめくりながら、小池は苦しい表情を浮かべる。金融機関の立場から見ればリスク管理は当然だが、もっと企業に寄り添う伴走の形があったはずではないか。書類の数字だけに振り回されるのではなく、現場を知り、経営者の本音を聞き、手を打てば救えたかもしれない――その後悔は今も小池の胸を離れない。

「今度こそ、同じ間違いは繰り返さない……」

 小池は誰もいない室内で小さく呟き、ファイルを閉じる。頭の中には光永精工が重なっていた。状況は違えど、限られた時間の中で倒産の危機に直面している点は同じ。ここで踏み込まなければ、再び取り返しのつかない結果を招きかねない。


 しばらくして、部屋のドアが軽くノックされた。入ってきたのはエリカだった。

「小池さん、まだ残ってたんですね。ちょっと心配で……」

 そう言うエリカの手には、自販機で買ったコーヒーが二つ握られている。小池は苦笑まじりに「ありがとう、助かるよ」と礼を言った。


「光永精工さんの資料を見ていたんですか?」

 エリカが視線をファイルに向けると、小池は渡辺木工所の資料を隠しながら小さくうなずく。「うん。現状だと、長尺旋盤を動かすにしても、職人の問題と資金の問題が両方のしかかってくる。営業プランを立てても、肝心の融資が下りなかったら動けないし……」


 エリカも疲れた表情を浮かべながら椅子に腰を下ろす。「私も実家が倒産したとき、周囲に頼れる人がいなかったのを痛感しました。もっと早く動けばよかった、もっと誰かに相談すればよかった、って。でも何もできないまま終わってしまって……」


 二人は少しの間、黙り込んだ。部屋の空気には、互いの痛みが静かに流れている。それを断ち切るように、小池が口を開いた。

「だからこそ、今度は絶対に助ける。光永社長が背負っているものを思うと、絶対にあきらめちゃいけない」


「私も同じです。あの工場を見たら、父の顔が浮かんで……似たような状況で何もできなかった自分が情けなくなる。でも、今は私たちがいるし、伴走型支援を掲げる小池さんたちの力もある。そう思うと、まだ希望はありますよね」

 エリカがそう言うと、小池は大きくうなずいた。「そうだね。森さんやタカシ君と協力すれば、きっと光永精工を立て直す道が見つかるはずだ」


 翌朝、フォレスト事務所にメンバーが集まると、小池とエリカは夜遅くまで話し合った結果を共有した。タカシが「お二人とも顔色がちょっと悪いですよ」と苦笑する中、森はいつも通り静かな笑みを浮かべている。


「小池さん、気合いが入っているようだね」

 森が声をかけると、小池は背筋を伸ばして答えた。「はい。過去に救えなかった企業を思い出すと、今回は何としてやらなきゃと強く思うんです。だから長尺旋盤の活用を軸に、営業プランを一刻も早く形にしたい」

「わかりました。では、早速プランを固めましょう。長尺旋盤加工を必要としている企業リスト、そして大江さんを呼び戻すにはどうすればいいか。当面の運転資金も必要ですね」

 森がそう提案すると、タカシとエリカも「はい!」と力強く応じる。


 まずは長尺旋盤の受注を狙うターゲット企業リストを整理。工業団体から得た情報をもとに、可能性がありそうな会社をピックアップしていく。加えて、かつて光永精工が忙しさから断った案件のリストを精査し、「長尺物や特殊形状の加工」を要望していた企業を特定。エリカがその会社ごとに連絡手段やSNS活用の仕方を計画する。



 だが、タカシは資料を見ながら首をひねった。「問題はやはり運転資金ですよね。長尺旋盤を再整備するだけでも費用がかかるし、大江さんを呼び戻すならそれなりに人件費もかかります。今の状態では、すぐに融資が出るとは思えない」

 小池は眉を寄せ、「田所支店長があれだけ渋い態度だと、他の金融機関や保証協会を探るしかないかもしれませんね。光永社長自身も、もう少し踏み込まないと」と答える。エリカは「大正精肉店のときも、最初信金さんは全然動かなかったけど、売上が少しずつ伸びた段階で融資を引き出せましたよね。あの事例を参考にできないでしょうか」と提案。

「確かに。大正精肉店の場合は“営業”という形で取引先を拡大し、新規のお客さま獲得を成果として示したことで、追加融資を得たんだ。今回も、長尺旋盤を活かして具体的な受注案件を見せられれば、田所支店長も動かざるを得ないかもしれない」

 タカシが膝を打ち、小池もうなずく。「それだ。数字さえ伴えば、信金の理屈をひっくり返せる可能性は十分ある。例え今がどんなに厳しくても、結果を出せばいいんだ」


 そこへ、光永からの電話が入り、スピーカーフォンに切り替え皆で耳を傾ける。「どうも、光永です。実は大江に連絡したら、体調は万全じゃないが、現場に戻って若手を教えるならやれなくもないって言ってる。あいつ、『やっぱりこの技術を絶やすのはもったいない』と鼻息荒くしてたよ」

 その声には、いつもより幾分か明るさがあった。エリカが「よかったですね、社長! それなら長尺旋盤も本格的に動かせそうです」と弾んだ声で返すと、光永は「まあ、こっちも腹くくるか」と照れ隠しのように言った。


 受話器を置いた後、小池は目を細めて微笑む。「やっぱり技術に対する想いは強いんですね。そこを活かせば、社長もきっと行動を変えてくれるでしょう」

 森は深くうなずいて、「あとは融資や資金繰りの問題をどうクリアするか。田所支店長が“簡単に融資はできない”と言っている以上、もっと説得材料を用意しましょう。案件の見込みリストを増やしてユーザーの声を集め、需要があることを明確に示すんです」とまとめる。


 ところが、その矢先に届いたのは、田所支店長からの短いメールだった。「再度お伝えしますが、追加融資は現段階では難しいです。ニッチ分野への投資リスクの高さを十分ご認識ください」――相変わらずの冷淡な文面が、小池のスマートフォンに表示される。

 エリカが「どうしてもダメなんでしょうか」と肩を落とすと、小池はスマホを握りしめ、「いや、こんなの想定内だよ。むしろ、あちらが更に態度を硬化する前に、早く何かしらの成果を出さなきゃな」と言葉に力を込めた。

(そうだ。結果を出せばいい。渡辺木工所のときは、結果を示す前に時間切れになってしまった。でも、今度は間に合わせる――)


 小池は心の中で強く誓う。自分が背負った過去の後悔があるからこそ、光永精工を守り抜きたいという想いは一層強まっている。タカシはそれを感じ取り、「小池さんならできる」と静かに励まし、エリカもまた自分の家が倒産した苦い経験を胸に、「絶対に諦めませんよ」と瞳を輝かせる。


 明日にでも見込み客への連絡や試作の準備が始まる。ベテラン職人・大江を中心に長尺旋盤を再整備し、若手を育成しながら受注を取りに行く具体策を詰める。それには資金も人も足りないが、それでも動かなければ何も始まらない。


 こうして、小池の強い想いを軸に、光永精工の再建プロジェクトはさらに加速する。過去の失敗を乗り越えたい小池の決意、同じく家業倒産の悔しさを晴らしたいエリカの情熱、そしてタカシと森の冷静なサポートが一体となって、閉ざされていた営業への扉をこじ開ける。


 失われつつあった職人技が蘇れば、ニッチであっても十分に戦えるはずだ。小池は夕暮れの事務所から外を見ながら、渡辺木工所の記憶を胸に強く誓う――「今度こそ守り抜く」――。

 その決意は、やがて光永精工だけでなく、自分自身の過去を救うことにもつながるかもしれない。長尺旋盤を生かした営業プランが本格的に動き出すが、田所支店長はなおも融資に対して強い難色を示す。キャッシュアウトのタイムリミットが刻一刻と迫る中、小池たちはどう動くのか――。新たな試練が姿を見せようとしていた。

 
 
 

Comentários


Não é mais possível comentar esta publicação. Contate o proprietário do site para mais informações.
bottom of page