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小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第50話


50話デベロッパーからの挑戦状


駅前のイルミネーションは、一層輝きを増していた。街を行き交う人々は冬の寒さにも負けず、どこか楽しげだ。ヘアサロン「アクアヘア」のガラス越しに漏れる暖かな光と、賑やかな店内のざわめきは、その華やかさの一部を担っているようだった。オーナースタイリストの相良莉子は、いつものように笑顔でハサミを動かしている。彼女の手から生み出されるスタイルは、客に自信と輝きを与え、その魔法にかかったような変化をSNSに投稿する客が新たな客を呼び込む。この好循環こそが、アクアヘアの「輝き」の源泉だった。


店の奥では、莉子の婚約者である比嘉が、伝票整理や備品の発注に追われている。日々の忙しさに比例して、請求書やレシートの山は高くなる一方だ。比嘉は、フォレスト事務所の小池たちに相談した後、わずかに希望を見出していた。専門家の力があれば、この見えない経営の歪みを正せるかもしれない。そうすれば、莉子も少しは安心できるはずだ。


そんなある日の午後、アクアヘアに一人の男が現れた。黒いスーツに身を包み、ぴしりと撫でつけられた髪。洗練されているが、どこか無機質な雰囲気を纏っている。その男は、アクアヘアの華やかな雰囲気とは明らかに異質な存在だった。


男は、莉子に声をかけた。丁寧だが、一切の感情を読み取れない声で。

「相良莉子様でいらっしゃいますね。私、城南開発の堀田と申します」


城南開発。その名を聞いて、莉子や比嘉だけでなく、店内のスタッフたちも一瞬、静まり返った。最近、この街で様々な開発計画の噂を耳にする、あの地域の不動産デベロッパーだ。


堀田は、どこか見下すような視線を店内に巡らせてから、本題に入った。

「実は、駅前再開発計画の一環として、こちらの土地の利用についてお話をさせて頂きたく参りました」

莉子は、何のことか分からず首を傾げた。「再開発、ですか?」

「はい。つきましては、現在の契約は終了させて頂き、年内いっぱいで建物を明け渡していただくことになります」


その言葉に、莉子やスタッフたちが息を呑んだ。比嘉が前に出ようとするのを、莉子が手で制した。

「明け渡し? どういうことですか? 私たちはここで、ちゃんと店を続けていますけど」莉子の声に、わずかに動揺が滲んだ。


堀田は表情を変えずに続けた。「現在の賃貸借契約は、弊社が土地を買い取る際に引き継ぎましたが、再開発計画においてこの場所は別の用途に供されるため、店舗として継続していただくことはできません」


唐突な話だった。あまりにも一方的で、高圧的だ。比嘉は思わず口を挟んだ。「それは一方的すぎます! 事前に何も聞いていない!」


「申し訳ありませんが、決定事項ですので」堀田はそう言い放つと、一枚の書類を莉子に差し出した。「つきましては、こちらに退去に関する条件が記載されておりますので、ご確認ください。もし、どうしてもこの場所での営業継続をご希望されるのであれば…」


堀田はそこで言葉を切ると、わずかに口元を歪めた。「新規に賃貸契約を結び直すことは不可能ではございませんが、賃料は現在の五倍となります。再開発後のこのエリアの価値を鑑みれば、妥当な金額かと存じます」


五倍。その数字を聞いて、莉子は目を見開いた。比嘉も絶句した。現在の家賃ですら決して安くない。五倍など、とても払える金額ではない。それは実質的に、「出ていけ」と言っているのと同じだった。


堀田の冷たい目が、莉子を射抜いた。「相良様ほどのカリスマ美容師さんであれば、他の場所でも成功できるはずです。駅前一等地である必要はないでしょう」


技術には絶対の自信があった。しかし、経営という、全く未知の土俵で、このような冷酷な圧力に晒されるのは初めてだった。堀子の頭は真っ白になり、言葉が出ない。技術で客を魅了することはできても、数字や契約、ましてや「再開発」という巨大な力には、どう立ち向かえばいいのか全く分からなかった。


堀田は、莉子の動揺を見て満足したかのように、名刺を置いて立ち去った。後に残されたのは、動揺するスタッフたちと、堀田が置いていった「挑戦状」とも言える書類、そしてアクアヘアを覆う重苦しい空気だった。


その夜。

莉子は、比嘉に当たり散らした。「なんで! なんでこんなことになるのよ! あなた、経営のこと見てるって言ったじゃない! なんで何もしてくれなかったのよ!」


比嘉は、ただひたすら莉子の言葉を受け止めるしかなかった。彼なりに店の状況を把握しようと務め、資金繰りの悪化を莉子に伝えても、軽くあしらわれてきた。専門家の助けが必要だと感じ、フォレスト事務所に相談した矢先の出来事だった。自分の無力さを痛感し、彼は歯を食いしばった。


比嘉からアクアヘアの窮状を聞いたフォレスト事務所のメンバーは、事の重大さをすぐに理解した。特に、エリカは、その話を聞いて強い憤りを感じていた。駅前一等地。城南開発。退去勧告。法外な賃料値上げ。それは、まるで自身の父が経営していた渡辺木工所が倒産に追い込まれた時の状況と重なるようだった。


技術や、地域に根差した価値を持つ中小企業が、時代の変化や経営知識の不足に足元をすくわれ、そこに大手の力や開発の波が容赦なく押し寄せる。そして、経営者は為す術なく追い詰められていく。あの時、父の顔から輝きが失われていった様を、エリカは鮮明に覚えていた。そして今、カリスマ美容師である相良莉子もまた、同じように輝きを失いつつある。


「許せない…」エリカは静かに呟いた。その声には、怒りが込められていた。小池は、静かにエリカの言葉に耳を傾けていた。彼の脳裏にも、かつて担当顧客であった渡辺木工所の倒産が蘇っていた。あの時、自分には経営者を救う知識もスキルも足りなかった。融資係長として多忙を極め、顧客訪問が疎かになり、真摯に向き合えなかったという後悔が今も胸にある。同じ轍を踏んではならない。


タカシもまた、渡辺木工所の破綻処理を引き継いだ経験から、中小企業が巨大な力の前でいかに無力になり得るかを痛感していた。彼は、アクアヘアの状況が、光永精工が金融機関からの融資に苦戦した状況と似ていると感じていた。リスク管理を優先する信用金庫本部や、再開発を推進する勢力の意向が、地元の中小企業を圧迫している。


「アクアヘアさんを、彼らの好き勝手にはさせません」タカシは力強く言った。


所長の森は、メンバーたちの決意を見守っていた。彼の「伴走支援」の理念は、まさにこうした巨大な力に立ち向かう中小企業に寄り添い、共に困難を乗り越えるためにある。


フォレスト中小企業診断士事務所は、カリスマ美容師・相良莉子、そして彼女のサロン「アクアヘア」の「伴走者」となることを決意した。これは、単なる経営支援ではない。街の未来、そして地元で汗を流す中小企業たちの誇りをかけた、巨大なチカラからの挑戦への戦いだ。


莉子はまだ気づいていない。彼女の技術とSNSでの影響力、そして比嘉やスタッフとの絆が、この絶望的な状況を覆す可能性を秘めていることを。そして、フォレスト事務所の緻密な戦略と、隠された協定や癒着を暴く別の力が水面下で動き始めていることを。


駅前の光と、見えない経営リスク。そして、その場所の価値に目をつけた巨大な影。相良莉子の輝きを守るための、フォレスト事務所の新たな戦いが幕を開けた。


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