小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第49話
- 小池 俊介
- 6月13日
- 読了時間: 5分

第49話「駅前の光と、見えない経営の原因」
師走を間近に控え、街はどこか浮足立っている。クリスマスイルミネーションが輝き始め、道行く人々の足取りも心なしか軽い。そんな華やいだ駅前の一等地で、ひときわ眩い光を放つ場所があった。ヘアサロン「アクアヘア」。そのモダンなガラス張りの外観は、通り過ぎる人々の目を惹きつけ、店内に活気があることを何よりも雄弁に物語っていた。
「アクアヘア」のオーナー兼スタイリスト、相良莉子は、この街でその名を知らぬ者はいないと言われるカリスマ美容師だ。彼女のハサミ捌きは、まるで魔法のように客の髪を変え、自信と輝きを与える。特に、光の当たり方で色合いが繊細に変化する「アクアヘア」という独自のカラーリング技術は、若い女性たちの間で絶大な支持を得ていた。SNSに投稿された彼女の施術後の写真は常に高いエンゲージメントを獲得し、フォロワーは増加の一途を辿っていた。彼女自身、SNSやトレンドに敏感で、インフルエンサー的なポジションも意識している。そのカリスマ性と技術力をもってすれば、どんな困難も乗り越えられる――莉子はそう信じて疑わなかった。
だが、「アクアヘア」の足元は、彼女の輝かしい技術とは裏腹に、驚くほど脆かった。莉子には経営の知識がほとんどなく、店の運営は完全などんぶり勘定だった。来店客数が増えれば売上も増える。ならば、もっと多くの客を呼べばいい。その単純な発想で突っ走り、日々の忙しさに追われるうちに、店を蝕む見えない経営リスクには全く気づいていなかった。材料費の高騰、無駄な経費、資金繰りの逼迫…華やかなサロンの内側で、数字は静かに、しかし確実に悪化のサインを点滅させていた。
そんな折、フォレスト中小企業診断士事務所の活動が地元タウン誌で特集された。中小企業に寄り添い、共に課題解決を目指す「伴走支援」のスタイルが紹介され、ヤマト製作所の経営改善や大正精肉店の再建成功が具体的に描かれていた。その記事に目を留めた人物がいた。莉子の婚約者であり、「アクアヘア」の番頭格を務める比嘉だ。
比嘉は、技術者肌で経営に無頓着な莉子を、陰ながら支えてきた。彼なりに店の状況を把握しようと努めてはいたが、財務を専門的に学んだことがあるわけではない。特に最近、資金繰りがどうにも厳しい状況にあることを肌で感じていた。莉子に指摘しても、「大丈夫、お客さんは来てるから!」と軽くあしらわれるばかり。危機感を募らせていた比嘉にとって、タウン誌で紹介されていたフォレスト事務所は、まさに藁にもすがる思いだった。
ある日の午後、比嘉は意を決してフォレスト事務所のドアを叩いた。
事務所の応接室。壁にはヤマト製作所や大正精肉店の感謝状が飾られ、和やかながらもプロフェッショナルな空気が漂っている。比嘉は緊張した面持ちで、事務所長の森、そして小池、タカシ、エリカの前に座った。
「あの、タウン誌で貴事務所のことを拝見しまして…」比嘉は言葉を選びながら話し始めた。「実は、私の婚約者が駅前で美容室をやっていまして…『アクアヘア』という店なんですが…」
その名前に、エリカの顔にわずかな驚きが浮かんだ。「アクアヘアさんですか? 駅前の…すごく人気で、私も何度かSNSでお見かけしたことがあります。カリスマ美容師さんがいらっしゃるって」
比嘉は力なく頷いた。「はい、莉子、彼女の技術は本当に素晴らしいんです。お客さんもたくさん来てくれますし、SNSでもすごく注目されてて…」
そこまで言って、比嘉は俯いた。「でも…どうも最近、お金の周りが悪くて。売り上げはそれなりにあるはずなのに、手元にお金が残らない。どうすればいいのか、全く分からなくて…莉子も、毎日忙しいって言うばかりで…」
「資金繰りが悪化している、とのことですね」 小池が落ち着いた声で問いかけた。「具体的な数字は、何か把握されていますか?」
比嘉は困ったように首を振った。「それが…私自身も詳しくは把握できていないんです。莉子に聞いても、『請求書とかレシートとか、もうぐちゃぐちゃで分かんない!』って怒り出すし…」莉子の「どんぶり勘定」ぶりを、比嘉は包み隠さず伝えた。
タカシが身を乗り出した。「そう、ですか…。それはまずいですね。売上があっても、コスト管理ができていなければ利益は残りません。まずは、現状を『見える化』するところから始めましょう」 タカシは、金融機関出身者として、数字の重要性を痛感していた。
エリカは、比嘉の疲弊した様子、そして莉子のカリスマ性とは裏腹な経営の脆さに、どこか既視感を覚えていた。自身の父が経営していた渡辺木工所も、技術は素晴らしかったのに、時代の変化や経営知識の不足から資金繰りに行き詰まり、倒産した経験がある。その時の父の苦悩、従業員を守れなかった悔しさ…エリカは、莉子という「輝く」職人が、同じ道を辿ってしまうのではないかという危惧を感じていた。
「アクアヘアさん、駅前のとても良い場所ですよね」小池が静かに呟いた。その一言に、比嘉はハッとしたような表情を見せた。
駅前一等地。それは、ヤマト製作所や大正精肉店のような地域に根差した中小企業とは異なる、別の種類の価値を持っていた。その場所の価値に目を付けている存在が、この街にはいた。再開発を推し進める城南開発だ。そして、その城南開発の意向に、かつて小池が在籍し、タカシも働く信用金庫の田所支店長が少なからず影響を受けていることを、フォレスト事務所のメンバーは光永精工の支援を通じて肌で感じていた。
「資金繰りがやはりとても大切です。それと、このあたりの賃貸物件は軒並み値上げ交渉にあっているという話も聞いています。」小池の言葉に、比嘉は不安そうに顔を上げた。
「アクアヘア」が抱える経営の弱さ。そして、その駅前一等地という立地が持つ価値。その二つが、この店に予測もしない外部からの圧力を招き寄せることになる。フォレスト事務所は、カリスマ美容師・相良莉子の輝きを守るため、そして彼女の経営を立て直すため、新たな「伴走」を決意する。
「承知いたしました。まずは、アクアヘアさんの現状を詳しく拝見させてください」
小池の力強い言葉に、比嘉は安堵の息をついた。まだ見ぬ巨大な影が、「アクアヘア」の未来に忍び寄っていることを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。
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