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小説 フォレスト中小企業診断士事務所~伴走者たちの協奏曲~第64話

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第64話:畑と食卓の「見せる化」 – エリカのSNS戦略

金融庁検査という嵐が過ぎ去った信用金庫本部。田所支店長が決死の覚悟で投じた一石は、凍てついた水面に確かな波紋を広げたものの、斎藤真由の6次産業化計画への融資が確定したわけではなかった。金融庁の監督官、山城と山田が残していった「プロセスの合理性」と「リスク検証の具体的なデータ」という宿題。それは、田所が組織の中で戦い続けるための、そして南川課長が保証協会を動かすための、必要不可欠な武器を意味していた。

「要するに、『絵に描いた餅』じゃないことを証明しろ、ということですね」

フォレスト中小企業診断士事務所の応接室で、タカシが悔しさを滲ませながら言った。彼が心血を注いで作り上げた「未来の青写真」も、具体的な「実績」という裏付けがなければ、机上の空論と見なされてしまう。

「待っているだけでは、道は開けません」小池は、静かだが力強い口調で言った。「融資審査の結果を待つのではなく、僕ら自身の手で、彼らが無視できない『客観的な事実』を作り出すんです。自己資金で可能な範囲で、今すぐ始められる実績づくりを」

その言葉に、これまで静かに議論を聞いていたエリカが、ぱっと顔を上げた。その瞳には、強い決意の光が宿っていた。

「それなら、私に考えがあります」

エリカの挑戦は、斎藤真由が持つ最大の資産、すなわち「畑」そのものと、彼女の「情熱」を、消費者の元へダイレクトに届けることから始まった。金融機関が理解できない「土の匂い」や「物語の価値」を、目に見える「需要」へと転換させる。彼女が打ち出した戦略は、SNSを駆使した徹底的な「見せる化」だった。

「真由さん、あなたの畑の価値が充分に伝わっているとは言えません。自分たちの手で、それを伝えましょう。真由さんの時間と労力が、土の香りや太陽のぬくもりが、どうやって美味しい食卓に繋がるのかを、多くの人に見せるんです」

エリカはまず、真由のスマートフォンに三脚を取り付け、畑の畝の間に立てた。そして、インスタグラムのライブ配信機能を起動させる。

「えっ、ラ、ライブですか!?こんな泥だらけの姿で……何を話せばいいのか……」

戸惑う真由に、エリカは悪戯っぽく笑いかけた。

「ありのままでいいんです。真由さんが、いつも野菜たちに語りかけているように」

最初はぎこちなく、土のついた手をもじもじさせていた真由だったが、エリカの巧みなリードに導かれ、次第に自分の言葉で語り始めた。朝露に濡れるトマトの美しさ、雑草との終わりなき戦い、そして、父から受け継いだこの土への想い。彼女の朴訥だが、真摯な言葉は、視聴者の心をゆっくりと掴んでいった。コメント欄には、「こんなに手間暇かけて作られてるんですね」「野菜への愛情が伝わります」といった声が溢れ始める。

エリカはこのライブ配信と並行して、ミールキットとサブスクリプションボックスの「モニター先行予約」を開始した。まだ商品は完成していない。しかし、「斎藤真由の挑戦を、最初に応援してくれる仲間を募集します」というキャッチコピーで、クラウドファンディングのように共感を軸とした仲間集めを仕掛けたのだ。

その告知投稿は、瞬く間に拡散された。そして、その投稿に、一人の男の目が留まった。

柳原涼太。都心のIT企業でデータサイエンティストとして働く彼は、モニターに映る無機質な数字と格闘する日々に、どこか虚しさを感じていた。週末くらいは、人間らしい温かみや、土の匂いに触れたい。そんな漠然とした想いを抱えていた彼にとって、エリカが発信する斎藤真由の物語は、まさに心を射抜くものだった。

『すごい……。こんな場所が、こんな都心にあったなんて』

柳原は、純粋な好奇心と、地元で頑張る人を応援したいというささやかな気持ちから、ほとんど衝動的に「収穫体験付き旬の野菜サブスクリプションボックス」のモニター応募ボタンをクリックした。彼が、記念すべき最初の応募者となった瞬間だった。

エリカのSNS戦略が着実に「潜在顧客」を可視化していく一方で、小池とタカシは、それを金融機関が評価できる「客観的な実績」へと昇華させるために奔走していた。

タカシは、モニター応募者のデータを即座に分析し、顧客の年齢層、居住地、そして彼らが何に価値を感じて応募してきたのか(「食の安全」「収穫体験」「生産者応援」など)を詳細にレポート化していく。

「見てください、小池さん。応募者の7割が、30代から40代の子育て世代です。これは、ミールキットのメインターゲット層と完全に一致します。需要は、間違いなくここに存在する」

一方、小池は商工会議所の大畑指導員に、タカシが作成した需要予測データを手に、改めて頭を下げていた。

「大畑さん、お願いします。このデータを見てください。これだけの需要が見込めるんです。彼女に、『地元まるごとマルシェ』で、テストマーケティングのチャンスをいただけないでしょうか。ここで確かな販売実績を作ることができれば、金融機関を説得する何よりの材料になる」

大畑は、城南開発の影に怯えながらも、目の前のデータの説得力と小池の熱意に、ついに首を縦に振った。

「……わかりましたよ。俺のクビが飛ぶかもしれんなあ。ただし、中途半端な結果だったら…わかっていますね。」

小池は微笑みながら次の一手に動く。大正精肉店の利夫に協力を要請。利夫は「おう、任せとけ!」と二つ返事で快諾し、自慢の金賞ソーセージと真由の有機野菜を組み合わせた「究極のグリルミールキット」の試作品を、わずか数日で完成させた。

そして迎えた、マルシェ当日。

会場の一角に設けられた斎藤農園のブースは、朝から黒山の人だかりだった。エリカがデザインした温かみのある看板と、SNSを見て駆けつけたという多くの人々。真由は、初めて直接顧客と対面する緊張で、最初は声も上ずっていた。

「い、いらっしゃいませ……。朝採れの、有機野菜です……」

しかし、客から「ライブ見ました!応援してます!」「このトマト、本当に色が濃くて美味しそう!」と次々に温かい言葉をかけられるうちに、彼女の顔にも自然な笑顔が広がっていく。

ブースの隣では、助っ人に駆けつけた利夫が、鉄板でコラボ商品のソーセージと野菜を焼き、香ばしい匂いをあたりに振りまいていた。

「さあさあ、食ってみてくれ!これが大正精肉店と斎藤農園、本気のコラボだ!」

試食した客からは、感嘆の声が上がる。用意したミールキットとコラボ商品は、昼過ぎには完売。サブスクリプションボックスの予約申込書にも、次々と名前が書き込まれていった。

その喧騒を、少し離れた場所から、一人の男が静かに見つめていた。金融庁の山田監督官だった。彼は、非番の日に、たまたまこのマルシェの噂を聞きつけ、プライベートで立ち寄ったのだ。彼の目に映っていたのは、事業計画書の無機質な数字ではない。生産者の情熱に共感し、その商品を笑顔で買い求める、地域住民たちの活気そのものだった。そして、その中心で、泥のついた手で懸命に野菜を売る斎藤真由と、それを支えるフォレスト事務所のメンバーたちの姿。

(……これが、田所支店長の言っていた『価値』か)

山田の心に、これまで自分を縛っていた「規則」という物差しでは測れない、新しい何かが、静かに、しかし確かに刻み込まれた。

その日の夕方。フォレスト事務所には、心地よい疲労感と、大きな達成感が満ち溢れていた。

「やりましたね……!」

真由の声は、喜びで震えていた。

タカシは、マルシェの売上データと予約申込者リストを手に、すでに新しい報告書の作成に取り掛かっている。それはもはや、「未来の青写真」ではない。地域の人々の支持という、何よりも雄弁な「実績」に裏打ちされた、反撃の狼煙そのものだった。

「これを持って、もう一度、彼らの元へ行きます」

タカシのその言葉に、小池も、エリカも、そして真由も、力強く頷いた。畑と食卓を繋ぐ彼らの挑戦は、今、確かな手応えを持って、次なるステージへと進もうとしていた。

 
 
 

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