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小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第29話



第29話「金融機関における中小企業支援の限界」

早朝5時30分、小池は目覚ましの音で起床した。窓の外はまだ薄暗く、朝の冷たい空気が家の中にも入り込んでいる。彼の日課は、起床後すぐにシャワーを浴び、通勤の電車内で前日の業務のメモを見返すことから始まる。会社近くのコーヒーショップでブラックコーヒーを飲みながら経済ニュースの論点を把握し、7時30分には信用金庫本部のデスクついていた。


その日も業務は山積みだった。現場での中小企業支援に加え、監督当局への対応や内部会議用の資料作成が絶え間なく続く。退勤時刻が19時を過ぎることはもはや当たり前で、帰宅してからも翌日の準備や、新たなな支援先の業種について学ぶための書籍を読んだりWEBサイトを調べたりするのが日課となっている。


そんな中、小池は企業支援部の体制強化を進めるべく、外部専門家を招聘する計画を立てていた。その候補に挙がったのは、中小企業診断士として活躍する森だった。

森とは、資格スクール時代の講師と受講生という関係だった。森による講義後のボランティア勉強会を通じて築いた信頼関係は今も続いており、森の支援スタイルや実績を知る小池にとって、彼以上の適任者はいなかった。

「小池さんが頑張っている話を聞いてね、いてもたってもいられなくなったよ。」

森はそう言い、信用金庫の企業支援部に合流した。森の参加は、支店職員が専門家と同行訪問しながら取引先の課題に向き合える体制を整える一助となった。

「これで少しでも現場が良くなるなら…」

小池はわずかに心が軽くなるのを感じた。


しかし、現場に立ち続けることへの希望は長く続かなかった。疲弊する小池の姿を見かねた上司からは、「現場には出なくて良いように仕組みを作れ」という指示が下った。外部専門家との連携スキームの設計や支援様式の作成といったデスクワークが中心となり、直接経営者と向き合う機会が減っていった。

「これじゃ本当の支援なんてできない。」

机に向かう小池の心は重かった。

「現場で経営者の声を聞いて、具体的な課題を一緒に解決することこそが、支援の本質なのに。」

そう思いながらも、粛々と業務をこなすしかなかった。外部専門家との連携スキームの構築には小池の魂が注がれていた。部長や役員からの期待を裏切ることはできなかったのだ。



そんな中、大きな転機となる出来事が起こった。金融監督当局が、金融仲介機能のベンチマークとして55項目のKPIを設定し、各金融機関に対して選択したKPIの公表を求める方針を打ち出したのだ。

小池は信用金庫の規模や特性を考慮し、55項目の中から30項目を厳選し、データ集計の仕組みや要素を細かく定義した上で部長に説明した。

「これなら現場の負担を最小限にしながら、しっかりと実績を示せます。」

小池はそう自信を持って提案した。しかし、しばらくして担当役員から帰ってきた返事は予想外のものだった。

「ダメだ、55項目すべてやれ。」

その一言は、小池の心に深い虚無感をもたらした。

「これをやっていると、もう現場には出られないな…。」


55項目すべてを対応するための作業は膨大だった。データの収集、整理、報告に追われる日々の中、小池は次第に限界を感じ始めていた。

「俺は何のためにこの仕事をしているんだ?」

そう自問するたびに、頭に浮かぶのは現場で接してきた経営者たちの顔だった。

「数字のことなんて分からない」と言っていた食品会社の社長が、キャッシュフローを改善して会社を立て直した姿。どんぶり勘定だった居酒屋店が数値の見える化を通じて経営改善を進め、2店舗目3店舗目の出店により事業を拡大している姿。

「やっぱり俺は、経営者と直接向き合って仕事をしたい。」

小池の胸に、その思いが明確に浮かび上がった。


気がつけば、小池が信用金庫に入庫してから14年が経過していた。3月末で丸15年を迎えるそのタイミングで、小池は自分のキャリアを見つめ直した。

小池は信用金庫を退職し、新たな挑戦に向けて動き始めた。


信用金庫本部の最寄り駅では、地元選出の代議士が地域の再開発による地域の活性化を熱っぽく語っている。この年は桜前線が日本列島を通り過ぎるのが極端に早く、既にピンク色の花びらが地面を色づけていた。

「人生一度きり。やれることをやろう…。」

 
 
 

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