小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第52話
- 小池 俊介
- 6月24日
- 読了時間: 6分

第52話「輝きを取り戻す戦略:SNSとコスト意識」
突きつけられた数字の現実に、相良莉子は深い衝撃を受けていた。カリスマ美容師としての自信が、足元の経営の脆弱さによって揺らいでいた。しかし、フォレスト事務所のメンバーが差し伸べてくれた手は、暗闇に差し込む一筋の光のように感じられた。特に、エリカが示したSNSという自分にとって身近なツールが、店の未来を切り開く可能性を秘めているという話には、心が震えた。
翌日から、フォレスト中小企業診断士事務所とアクアヘアによる本格的な伴走支援が始まった。タカシは、莉子と比嘉を相手に、数字の「見える化」の具体的な方法を教え始めた。比嘉が持っていた断片的な記録や、莉子の頭の中にある曖昧な数字を一つずつ拾い上げ、スプレッドシートに入力していく作業は、根気のいるものだった。
「相良さん、まずはここから見ていきましょう」タカシは、ホワイトボードに書いた簡易的な損益計算書を指差した。「これが、アクアヘアさんの『成績表』です」。
「売上は確かにすごいんです。これは相良さんの技術と、皆さんの努力の証です」タカシは莉子と比嘉、そしてそばにいるスタッフたちにも語りかけた。「でも、売上を上げるだけでは、お店は元気にならないんです。どこからお金が入ってきて、どこにいくら出ていくのか。それを知ることが、お店を強くするための第一歩です」。
タカシは、家計簿をつけるような感覚で、日々の売上と経費を記録する簡単な方法を提案した。材料費、水道光熱費、広告費…これまでざっくりとしか把握していなかった項目を、具体的に数字として追っていく。莉子は数字を見るだけで頭が痛くなるタイプだったが、タカシは決して専門用語を多用せず、一つ一つの項目が店の利益にどう繋がるのかを丁寧に説明した。
「業務委託のアシスタントさんを使ってこのサービスを提供すると、これだけの利益が出るんですね…」莉子は、初めて自分の仕事が数字に換算されるのを見て、新鮮な驚きを感じていた。
比嘉は、莉子の隣で真剣にメモを取り、分からない点をタカシに質問した。彼の真面目さが、数字の苦手な莉子を支えていた。
数字との格闘が続く一方で、エリカは莉子のもう一つの強み、SNSでの発信力を最大限に活かす戦略を練っていた。
「相良さん、SNS、得意ですよね!」エリカは、莉子のInstagramアカウントを見ながら、目を輝かせた。「すごいフォロワー数ですし、皆さん相良さんの投稿を楽しみにしています。これを、もっと戦略的に使いましょう!」
エリカが提案したのは、単なる集客ツールとしてではない、アクアヘアというブランドを確立し、顧客とのエンゲージメントを深めるためのSNS活用だった。
「例えば、お客様の『ビフォーアフター』の写真をもっとたくさんアップしましょう。もちろん、お客様の許可をいただいて」。エリカは、写真の見せ方、光の当て方、投稿する文章のポイントなどを具体的にアドバイスした。「相良さんの『神業』カットで、お客様がどれだけ輝きを取り戻したのか、その感動が伝わるように」。
さらに、技術へのこだわりを伝える短い動画や、ライブ配信での質疑応答なども企画した。「『どうしたらこんなに綺麗な色が出せるんですか?』とか、『自宅でのケアはどうすればいいですか?』といったお客様の質問に、相良さんや皆さんの言葉で丁寧に答えるんです。そうすることで、お客様はもっとアクアヘアの技術を信頼してくれますし、ファンになってくれます」。
莉子は、この提案にすぐに食いついた。数字と向き合うことは億劫だったが、自分の技術と魅力を発信することは、彼女の得意分野であり、何よりも好きなことだった。エリカのアドバイスを受けながら、早速いくつかの投稿を試してみた。お客様に声をかけ、快く許可を得て撮影したビフォーアフター写真。こだわりのカット技法を収めたショート動画。すると、すぐに「いいね!」やコメントが殺到した。
「わあ! この人、すごく綺麗になったね!」「どうやってカットしてるんですか? 知りたいです!」「今度ぜひ予約したいです!」
SNSでの反響は、予想以上に大きかった。フォロワー数はさらに増え、ダイレクトメッセージで新規の予約に関する問い合わせも入り始めた。
「すごい…こんなにすぐ反応があるなんて…!」莉子は、SNSの画面を見ながら興奮した。堀田からの理不尽な要求で傷ついた心が、少しずつ癒えていくのを感じた。自分の技術が、まだ多くの人に求められている。そして、その技術を「見せる」ことで、新たな力になることを実感した。
一方、タカシとの地道な数字との向き合いも続いていた。最初は嫌々だったが、毎日記録をつけていくうちに、少しずつ変化が見えてきた。
「あれ? 今月、タオル代がちょっと高いかな?」
「このカラー剤、すごくいいけど、やっぱり原価が高いな。他の種類も試してみようか」
比嘉のサポートもあり、小さなコスト削減のアイデアが生まれてきた。例えば、タオルはクリーニングに出す頻度を見直したり、薬剤の仕入れ先や種類を比較検討したり。一つ一つの削減額は小さくても、それが積み重なれば大きな違いになることを、タカシは分かりやすく説明した。
そして迎えた月末、簡易的な収支表が完成した。まだ改善の余地は大きかったが、先月まで全く見えていなかったお金の流れが、少しだけ形になった。
「…これか。これが、お店の『今』なんですね」莉子は、数字の羅列を見つめながら呟いた。まだ厳しい状況には変わりなかったが、数字が示す現実を、感情論ではなく受け止められるようになっていた。そして、小さなコスト削減が、少しだけ利益に貢献しているのを見た時、莉子の中に小さな喜びが生まれた。「あ、この部分、頑張ったら変わった…!」。
フォレスト事務所では、小池、タカシ、エリカがアクアヘアの進捗状況を共有していた。
「相良さん、数字にはまだ慣れないようですが、比嘉さんのサポートもあり、少しずつ理解しようとしてくれています」タカシが報告する。
「SNSの方は、驚くほど反応がいいです。相良さんのカリスマ性が本当に活きていますね」エリカが続けた。「これを継続できれば、新規顧客だけでなく、アクアヘアのブランド価値そのものが高まります」。
小池は頷いた。
「技術という強みを、数字とSNSというツールで『見える化』し、経営に繋げる。まさに私たちが目指す伴走支援の形ですね」
エリカは、莉子の輝きが少しずつ戻ってきているのを感じていた。父の時のような、技術だけではどうにもならない無力感を繰り返させたくないという思いが、彼女を突き動かしていた。
アクアヘアに希望の光が差し込み始めた頃、水面下では、城南開発の堀田が冷徹な目を光らせていた。アクアヘアがフォレスト事務所という外部の力を借り、新たな動きを見せ始めたことに気づいていたのだ。特に、SNSでの活況は、堀田には理解しがたい世界だった。「目に見えない」影響力が、店の価値を高めている。堀田は、アクアヘアの新たな動きを注意深く観察し、次に打つべき手について、上司である三宅に報告を上げた。駅前再開発という巨大なプロジェクトの歯車は、止まることなく回り続けていた。
アクアヘアの「輝きを取り戻す戦略」は、始まったばかりだ。数字との地道な戦いと、SNSという現代的な武器。それらを手に、カリスマ美容師は経営という未知の世界に立ち向かい始めた。
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