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小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第48話



第48話「再出発」


 その日の朝は、少し肌寒い風が街を吹き抜けていた。フォレスト中小企業診断士事務所には珍しく、開所時間前から光永精工の社長・光永が姿を見せている。表情には期待と不安が入り混じっているが、どこか落ち着かない様子だ。つい先日、「融資実行方向」という評価を得られたものの、本部決裁が出るまでは何も確定しないからだ。


「小池さん、おはよう。どうしても気になって、早く来すぎちまった」

 工場の稼働が一気に上向いているタイミングだけに、光永としては融資がどう転ぶかが死活問題となる。南川課長(信用保証協会)も協力を惜しまない姿勢を見せていたし、資料の完成度も高い。にもかかわらず、本当に追加融資が下りるかどうかはまだわからない。先日、田所支店長が本部で「融資実行方向」を勝ち取ったものの、最終的なゴーサインは別の会議を経る必要があると聞いていた。


 小池は落ち着いた笑みを浮かべ、「大丈夫ですよ、社長。ここまで成果を示してきましたし、保証協会の100%保証もほぼ確定のようです。焦っても仕方ありませんが、もし審査結果が出ればすぐ連絡が来るはずです」と言ってから、ちらりとエリカとタカシを見やる。二人ともコーヒーを手にやってきて、「今までの動きを考えれば、断られる理由はないですよね」と微笑む。


 その矢先、事務所の電話が鳴る。タカシが受話器を取り「はい、フォレスト中小企業診断士事務所です……あ、田所支店長ですか?」と声を上げた。室内全員が息を呑むようにタカシを見つめる。タカシは「はい……はい……」と応答を繰り返した後、受話器を置き、深く息をついた。


「皆さん、融資、正式に決まりました!」

 その瞬間、小さく静まり返った後、光永が「……本当か?」と震える声を漏らし、そして「やったあ!」と握りこぶしを突き上げる。エリカとタカシも「よかった!」と声を上げ、小池は胸をなでおろした。


 田所支店長からの話では、本部の審査会で最終決裁が下り、南川課長の協力する保証付き融資が実行されることになったという。どうやら、当初は反対していたはずの斎藤理事が最終的には賛成に回ったらしい。その理由ははっきり語られなかったそうだが、決定そのものは間違いなく、見込みの範囲を超えて現実のものとなったようだ。


「ともかく、融資が下りるなら俺たちは助かるよ。大江さんの人件費も、増え続ける材料費も、これでしっかり回せる。いまの仕事を途切れなく続けられるんだ!」

 光永がほっとしたように笑うと、エリカが「SNSの反応を見ていても、しばらくは受注が続きそうですよ。これで資金繰りも安定すれば、スケジュール通りにこなせますね」と弾んだ声で応じる。タカシは「一件落着、と言いたいところですが……どうして理事が急に賛成したのかは謎のままですね」と首をかしげる。


 小池は「まあ、本当の理由はわからないけど、田所支店長が努力してくれたのも大きいんでしょう。結果が出たのは素直にありがたい」と言って書類を整理し始める。ともあれ、追加融資が得られたのは事実であり、光永精工にとっては大きな救いとなる。


 一方、その頃、田所支店長は支店のデスクに戻りつつも、複雑な思いを抱えていた。斎藤理事が最後に賛成してくれたという形だが、なぜそうなったのかは詳しく聞かされていない。しかも、どこかで「地元の有力企業がこの融資に不快感を示しているらしい」という噂を耳にし焦りを感じている。田所としては嬉しいはずの融資決定が、言いようのない不安を伴うものとなってしまっていた。


 そんなとき、森診断士がふらりと支店を訪ねてくる。応接室に通された森は、さっそく「融資が決まったと伺いました。支店長も大変でしたね」と声をかける。田所は微妙に顔をしかめながら、「ええ、私としても必要な融資だと思っていたので通すことができてよかったんですが……正直、今後どうなるか不安も大きいです」と答えた。


「でも、地域に根ざす信用金庫として、こうした企業を支えられるのは素晴らしいことですよ。おかげで光永精工さんも再出発の準備が整いましたし」

 森が優しい口調で言うと、田所は無言で書類をめくりながら微笑む。たしかに融資が通ったこと自体は嬉しいが、胸にざわめく不安は消えない。「これこそ地域金融の使命ではありませんか」と森が続けると、田所は「……そう、ですね」とほっとしたように表情をゆるめた。


 そして光永精工の工場では、運転資金が整う見込みが立ったことで皆がいっそう元気になって見える。「あとは大江さんの体調とスケジュール次第だな。若手もどんどん育てないと」と光永は話し合いながら、受注案件を整理していく。工場の稼働音が絶えず鳴り響き、以前の沈鬱な雰囲気が嘘のように消えていた。


 エリカは工場の写真を撮り、「再出発の日」と題してSNSに投稿する。するとすぐ反応があり、「おめでとうございます」「長尺旋盤の技術、期待してます!」というコメントが書き込まれる。タカシも「これで売上が安定すれば、確実に会社は成長できますね」と目を輝かせる。


 ちょうどそんなタイミングで地元紙からフォレスト事務所に取材の申し込みが入った。大正精肉店の再生の話がメディアにつながり、フォレスト事務所の伴走支援が注目されているという。エリカが電話を受け、「ぜひお話させていただきます」と快諾した。小池は「企業が本来の力を発揮するためのサポートに過ぎないんですけどね」と言いつつも、取材で取り上げられるのは嬉しいと素直に喜んでいる。


 その一方で、田所支店長の耳には「城南開発の社長が激怒している」という情報が断片的に飛び込んでくる。なぜ怒っているのかはわからないが、どうやら再開発絡みの動きを進める上で、今回の融資決定が気に障ったらしい。

「やっぱり何かしらの思惑があるのか……でも、もう融資は実行される方針になったんだ」

 田所は自分にそう言い聞かせながら、資料を棚に戻す。もしこの融資が地域を潤す結果になるなら、それが信用金庫本来の役目だろう。何か裏で不協和音が鳴っているとしても、今は光永精工の行く末を見守るしかない。



 そして数日後、正式に融資実行の通知が届き、光永精工に安堵の空気が流れた。「これで大江さんへの人件費も当面心配ないし、材料費も確保できる。受注が増えた今こそ、またとないチャンスだ」と光永は従業員たちに声をかける。大江は「俺ももう少しがんばろうかね」と苦笑しながら若手にアドバイスを続ける。


 工場の稼働が戻り、電話やメールが活発にやり取りされる様子は、間違いなく「再出発」を象徴していた。フォレスト事務所の伴走支援もここでいったん区切りを迎え、引き続きアフターフォローを行う形になるが、ひとまず大きな成果を上げたと言えるだろう。


「結局、なぜ理事が賛成したんでしょうね。最初はあんなに厳しかったのに」

 タカシが首をかしげると、小池は「わからない。何か裏があるのかもしれないけど、今は深く考えても仕方ないさ。光永精工が救われたことが大事」と肩をすくめる。エリカも「ですね。今はおめでたいニュースを素直に喜びたいな」と微笑む。


 田所支店長の胸中にもまだ不安は残るが、森診断士が「これこそ地域金融の使命では?」と声をかけてくれた言葉を思い出すたびに、心が少しだけ軽くなるようだ。自分がリスク管理ばかりしていた日々から、一歩踏み出して融資に動いたことで、企業を再生に導けたのかもしれない――田所はわずかに笑みを浮かべ、書類を片付けている。


「再出発、ですね」

 工場の一角で、大江が微かな笑顔とともに長尺旋盤を撫でる。その姿を見て、光永も胸を熱くする。フォレスト事務所の伴走支援が一段落し、地域紙の記事で称賛されても、それはあくまで始まりにすぎない――今こそ光永精工が自らの技術と努力で、新たな道を切り拓くときなのだ。


 窓の外には雲間から差す柔らかな光。

「これが終わりじゃない。だけど、ここまできたことは大きい」

 小池のその言葉に、タカシとエリカは深くうなずく。彼らが企業と共に歩む“伴走”の力は、確実に形となって現れたのだ。光永精工にとっての再出発が、地域に新しい風をもたらす予感がする。

 
 
 

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