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小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第47話



第47話「田所決死のプレゼン」


 薄曇りの朝、風が少し冷たさを増した中で、光永精工にとっては追い風のような動きが起き始めていた。かつて忙しすぎて「断りリスト」に回してしまった企業へのフォローアップ営業が実を結び、なんと三件の案件が継続受注の可能性を帯びてきたのだ。しかもエリカがSNSでアップした長尺加工のリール動画が想定外にバズり始め、「こういう加工をお願いできますか?」という問い合わせが続々と舞い込んでいる。


 光永精工の社長・光永は「こんなに来るもんなんだな…」と、まるで信じられないという表情を隠せない。工場では久しぶりに機械がせわしなく稼働し始め、従業員たちに活気が戻りつつある。以前は「営業なんて面倒」とぼやいていた光永が、今は自ら電話やメールをこなしていた。


 ちょうどその頃、フォレスト中小企業診断士事務所の小池とタカシは、同じく盛り上がりを感じながら新しい資料を仕上げていた。そこには三つの新規受注案件の詳細や、SNSで急増した引き合い件数、見積もり段階だが金額ベースでの売上見込みなどが整理されている。さらに保証協会の100%保証を利用した資金調達プランとリスク軽減策がきっちり盛り込まれていた。


「これだけ根拠が揃えば、さすがに田所支店長も動くしかないよね」

 タカシがファイルを閉じながら期待を口にする。小池もうなずいた。ふと、数年前まで彼が企業支援部隊で直属の上司だった斎藤理事の顔が頭に浮かぶ。あの理事は審査ポイントに関して厳しい一方で、本気で企業を救う気概を持っているなら数字をきちんと示せば聞く耳を持つはず――小池はそう信じていた。

「この計画書の中身なら、斎藤理事が想定するあらゆるダメ出しに答えられるはずだ。長尺旋盤に対する依存リスクもカバーできるし、保証協会の連携で信用金庫側のリスクもほぼ消せる」小池がそう言い切ると、タカシが「田所支店長にはこれを手渡して、“万全の資料があるんだから融資してほしい”と押し切ってもらいましょう。」と続けた。


一方の光永精工の工場では、急増した受注案件を振り分けるためのミーティングが開かれていた。大江は無理をしない範囲で若手を指導しつつ、長尺旋盤の微妙な設定をレクチャーしている。光永社長も何度も電話を取っては、新規依頼について納期や加工条件を確認し、時には「すみません、こちらは対応できますが少しお時間をいただきます」と丁重に返答する。工場の奥ではいつになく活気ある声が飛び交い、以前の沈黙が嘘のようだった。

エリカは、その様子を写真や動画に収めてSNSに追加投稿している。現場の生の空気が伝わると、さらに関心を持ってもらえると考えたからだ。すでに「こんな技術がまだ日本にあるなんて」と驚きのコメントが入り始め、投稿の閲覧数がじわじわ伸びている。小池やタカシからすれば、ここまで反応が出るとは想定外だが、同時に「早く融資を決めなければ」と気が気でない。


そんな中、田所支店長から連絡が入り、翌週に本部の審査会で光永精工の融資が検討されることを告げられた。そこで「追加の資料や見積もり依頼の進捗状況を教えてほしい」との要望があり、小池たちは急いで数字を更新。新たに確定した案件や保証協会の連携内容を整理し、田所が本部へ持参できるようファイルを用意する。こうして、実地の成果を目に見える形にまとめる作業に追われるうちに、一週間はあっという間に過ぎていった。


 翌週、田所支店長は光永精工の案件に関する資料を両手に、信用金庫本部へと向かっていた。本部の会議室では斎藤理事をはじめとする審査会のメンバーが揃い、既に席に着いている。道中から緊張感が絶えない田所だったが、手に握っているフォレスト事務所作成の分厚い資料が一つの支えになっていた。


 会議が始まり、田所は「光永精工の再建計画書」と題したプレゼン資料をスクリーンに映し出す。長尺旋盤を再稼働して小ロット受注を拡大する戦略、具体的に受注が決まりそうな企業名や見込金額のリスト、SNSを使った営業実績、さらに保証協会と連携したリスク軽減策――全てがデータ化され、説得力を持った形で並んでいる。


「大手取引先の海外移転によって売上が激減したのは事実です。しかし、長尺旋盤を軸に新しい市場を開拓しており、既に見積もりや継続受注の依頼が複数出ています。しかも、保証協会の100%保証制度を利用できる可能性が高いため、融資リスクは極めて低いと言えます」


 田所が真剣な面持ちで説明を続けると、斎藤理事が腕を組み、「希望的観測だろう。海外移転された時点で先はないと言えるのではないか」と冷たく口を挟む。田所は肩を強張らせながらも言い返す。


「もちろん、現時点では確定的な売上とまでは言えません。しかし“お断りリスト”への再アプローチにより、複数の企業から継続案件を得ているのは事実です。またこのデータをご覧ください。SNSでの発信が成功し、問い合わせ件数も増えています。リスク管理上、問題が残ると思われるなら、保証協会の100%保証でリスクを軽減でき、不良債権を増やすことはありません。」


 理事は険しい表情のまま、「だが海外移転のような状況は再び起こり得るし、ニッチな分野は先細りだ」と応じる。田所は決死の覚悟でさらに踏み込む。「海外移転というリスク要因と長尺旋盤の特殊ニーズは全く違う市場です。むしろニッチな分、参入障壁が高いから利益率を確保しやすい。その証拠に、過去の受注案件では高い利益率が確認できていますし、受注見込みの案件でも高い単価が取れる見通しです。」


 会議室は一瞬静まり返る。斎藤理事が机の上の資料をめくり、「ふん……本部決裁が通るかは知らんがね。これだけのデータを並べても、一回の審査で決まるとは限らないぞ」と言い捨てた。田所の眉がわずかに震える。彼の頭には再開発の件がよぎるが、ここで引くわけにはいかない。


「私はこの会社を支援すべきだと考えています。今回の再建計画は、むやみに期待を煽るものではなく、具体的なデータをもとにしたものです。万一を考慮しても、保証制度がリスクをカバーする。これだけ整っているのなら、融資を拒否する理由はないと私は考えます」


 息を詰まらせるような沈黙が落ちる。審査会の他のメンバーが顔を見合わせる中、斎藤理事は渋い顔のまま「……わかった。仮にこのまま進めるとしても、最終判断はまだ先だ。あくまで“融資実行方向”というだけだぞ」と、にべもない言い方で結論を出す。田所は押し殺した声で「ありがとうございます」とだけ返し、深々と頭を下げる。


 それでも「融資実行方向」が出たのは大きな一歩だった。田所は会議室を出ると、ほっとしたように息を吐く。遠くで斎藤理事が誰かと話しているのが聞こえるが、細かい内容まではわからない。田所にはまだ安心はできないという感覚がある。



 一方、フォレスト中小企業診断士事務所では、エリカがその報せをタカシから聞き、思わず「やった!」と声を上げる。「本部が融資実行方向で動いてくれるなら、あとは審査が通るのを待てばいいんですね」

タカシも笑顔で「うん、田所支店長がやりきってくれた。小池さんの資料も大きかったんじゃないかな」と答える。小池はそれを聞いて一瞬安堵するが、内心では「これで終わりではない」と気を引き締めている。


「審査が通るかはまだわからない。それに、田所支店長の態度から察するに、斎藤理事は納得し切ってはいないみたいだし……」

 小池は窓の外を見ながらそう呟く。城南開発が絡む再開発がどれほど影響しているのかは依然不透明だ。だが、田所が「私はこの会社を支援したい」と言い切った事実は大きい。あの堅物の支店長が、ここまで動いてくれたというのは、小池にとっても心強い。


 光永に報告すると、彼は電話の向こうで「本当ですか? うわあ、ありがてえ……田所支店長がそこまで言ってくれたなら、俺たちももっと頑張らないとな」と素直に喜ぶ。工場内は一層活気づいており、従業員らも「融資が通れば営業活動にも弾みがつく」と期待を口にするようになった。


 ただ、理事の捨て台詞どおり「本部決裁が通るかはまだわからない」。小池の脳裏には、その言葉がこびりついている。田所の奮闘で得られた一時の安心は、本当に最終的な融資実行までこぎつけることができるのか。いや、それでもフォレスト事務所としてはここまで導いた成果を信じ、最後まで伴走を続けるしかない。


 雨上がりの夕方、事務所の入口を出た小池は、遠くの空にわずかな青を見つける。田所が決死のプレゼンを通し、光永精工の再建計画が“融資実行方向”となったことは確かだ。けれどその青空はまだごく一部でしかない。薄雲が広がる大気の向こうに、再開発と城南開発、そして斎藤理事の思惑が潜んでいる気がする。


「それでもやれるだけやろう。光永精工の未来を消さないために」

 小池は静かにそう呟いて、鞄を握り直す。田所支店長がそこまで踏み込んでくれた今、新しい展開が待っているかもしれない――。各々の思惑が渦巻く中、光永精工の運命は、まさにこれからが正念場を迎えようとしていた。


 
 
 

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