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小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第46話


 

第46話「差し込む光」

 朝早くから激しい雨が降り注ぐ中、小池はフォレスト中小企業診断士事務所の扉を開けた。湿った空気が事務所内に入り込むが、慌ただしい一日の始まりを予感させるには十分な雰囲気だ。机の上には、昨日までに準備した信用保証協会関連の書類が山積みになっている。


 光永精工の状況が好転するきっかけになるかもしれない――小池はそう信じていた。今回、旧知の信用保証協会・南川課長が協力してくれることになり、運転資金の支援として“100%保証”を活用できないか検討中なのだ。もしこれが実現すれば、信用金庫が負うリスクはほぼゼロに近くなる。


 小池が書類をチェックしていると、タカシが入ってきた。雨で髪が少し濡れているが、いつも通り手には資料ファイルを抱えている。

「おはようございます。南川課長にお願いしていた件、進捗ありましたか?」

「うん、話を進めてくれている。光永精工さんの現状がきちんと説明できれば、保証枠を適用できる可能性は高いらしい」

 小池の言葉にタカシは安堵の表情を浮かべる。一瞬だけ、事務所の窓の外を見やった。激しい雨が降り続いているが、その先にうっすらと陽が差すような予感がする。


 そこへエリカが合流し、昨日の営業活動レポートをタカシに渡す。光永精工では長尺旋盤の話を聞きつけた複数の企業が見積もり依頼を検討しているという。まだ売上に直結する段階ではないが、確かに空気が変わりつつある。

「電話とメールで何件か問い合わせが増えました。社長も、慣れないながら一生懸命やってますよ」

「それなら早めに資金の段取りをつけたいですね。追加投資の必要があるからこそ、うちに相談してきてるわけですし」

 タカシが資料を見てうなずいたところで、森が奥から姿を現し、「皆さん、揃ってますね。そろそろ信用保証協会の話をまとめて、田所支店長に提案しましょうか」と声をかける。小池は手元のファイルを持ち上げ、「僕もそう思ってました」と即答した。


 約束の時間が近づき、タカシと小池は連れ立って信用金庫の支店へ向かう。田所支店長との面談を取り付けてあったのだ。書類ケースの中には、南川課長が提示してくれた“100%保証”制度の概要が入っている。これを使えれば、融資に対する信用金庫側のリスクは格段に減るはずだ。

「これならさすがに、支店としても動かない理由がないと思うんだけどな」

 タカシが自信ありげにつぶやく。小池もうなずくが、心のどこかに不安を抱えていた。もしこれですらダメだと言われるなら、いったい何が理由なのか――。


 支店に入り、応接室で待たされたのは十分ほど。やがて田所支店長が姿を見せた。相変わらず落ち着いた雰囲気だが、どこか表情に陰りがある。「お忙しいところすみません。今日はご提案がありまして」とタカシが先に切り出す。

「はい、どうぞ」

 田所の声は控えめだ。小池は書類ケースから保証協会の制度説明資料を取り出し、テーブルに広げる。

「ご存じかもしれませんが、最近リリースされた特別な保証制度がありまして。南川課長とも話したところ、光永精工さんが条件を満たす可能性があると。いわゆる、金融機関のリスクが実質ゼロに近い“100%保証”です」


 田所は資料に目を走らせつつ、「これは……あの制度か…。確かに。もし審査が通れば、実質的には当方が負う信用リスクはほぼないということか」と声を落とす。小池は「はい、詳しい形態は保証協会さんがメインになりますが、実質的に信用金庫がリスクを負う部分は皆無に近くなるはずです」と説明した。

「それなら……」

 田所は珍しくほっとしたように表情をゆるめかける。しかし言葉を続けようとした瞬間、机の上の内線電話が鳴った。田所は一瞬戸惑うが、仕方なく受話器を取る。「はい、田所です」短いやり取りのなかで田所の表情が硬化していくのがわかった。


「齋藤理事ですか?」

小池の質問に田所は答えず、「申し訳ありません。先ほど本部から連絡があり、ここの近隣で進められている再開発案件が正式に動き出すかもしれないと。私には詳しいことは言えませんが、総合的に考えると今のタイミングでこの融資は難しいかもしれません」と言葉を絞り出した。声の調子からして、何か外に出せない事情があるのは明らかだ。


「総合的な判断……」とタカシが思わず繰り返す。その言葉は、実質的に「断り文句」でしかない。書類上はリスクがゼロに近いにもかかわらず、これでは何も打開できない。小池も顔を曇らせ、「そうですか……」としか返せなかった。心の中では、おそらく本部が何らかの理由でこのような案件を嫌っていることが確信に変わりつつある。


 田所はやり切れない表情で、「私も可能性を探ってきたのだが……うちの本部も再開発に注力している段階で…申し訳ない」と頭を下げる。


 事務所に戻った車中、小池とタカシは沈黙が続いた。100%保証という手段まで出したのに、なぜ融資がうまく運ばないのか。リスクがないはずなのに、「総合的な判断で難しい」という不可解な言葉に落とし込まれた事実が重くのしかかる。




 事務所に到着すると、エリカが「いかがでしたか?」と待ち構えている。タカシは顔をしかめながら答える。「手応えはあったんですが、結局“総合的な判断”とかいう理由でダメだそうです。要は何か他の要因で通せないみたいですね」


 エリカは落胆の表情を見せ、「もしかして再開発とかが絡んでいるんでしょうか……」と呟く。タカシは苦々しく頷くしかなかった。フォレスト事務所が入居しているビルのオーナー会社は“城南開発”であり、地元では誰もが知る有力企業だ。城南開発の名前は再開発に絡んで動いているという噂もある。ここ最近、オーナー会社から「契約更新について相談したい」と連絡が入ったのも妙なタイミングだ。


「確かに、この辺りの再開発には城南開発が大きく絡んでるらしい。田所支店長もそこら辺を意識してるんじゃないか。上からすれば、小口の融資より再開発のほうを優先したいんだろう」 小池はそう推測しながら、書類を机に置く。「なんにせよ、100%保証なのにスムーズに進まない理由は今のところ謎のままですね」


 エリカは視線を落とし、「これは単にリスク管理の問題だけじゃなさそうですね。せっかく光永精工さんが動き始めてるのに……」と歯ぎしりするように呟いた。大江を呼び戻し、長尺旋盤の再稼働への意欲を高めている光永精工が、一番必要としている資金が得られないのはあまりに理不尽だ。


 タカシは首を振りながら椅子に深く座り込む。「まあ、僕らにできるのは、少しでも早く光永精工が受注を取り付けて、“今なら危なくない”と信用金庫に示すことしかないでしょうね。今のままだと相手の内部事情には踏み込めませんし……」


 エリカもうなずく。「私もメールやSNSでいろいろ告知して、見込み客を増やすようお手伝いしてます。光永さんも、慣れない営業を頑張っている。早く数字が出れば、支店長も納得せざるを得ないですよね」


 小池はしばし黙考したあと、静かに口を開く。「きっと田所支店長自身も苦しいはずです。昔からリスク管理主義だけど、一方で本気で企業に寄り添いたいという気持ちを持った人ですし、今は上層部との板挟みになってる。……ともかく、僕らは光永精工の側で伴走を続けるしかないですね」


 そう言いながら小池は窓の外を見る。雨は先ほどより弱まってきており、雲の切れ間から一瞬だけ光が射し込んでいる。まるでこれが小さな希望を暗示するかのようだ。だが、光が差したところで、再開発や城南開発の思惑が絡む限り、道はまだ険しい。


 夜になり、タカシが帰ってからも小池は事務所でデスクワークを続ける。保証協会から提示された制度は間違いなく有用だが、それでも田所支店長は「総合的な判断で難しい」という。形だけなら何とでも言えるが、裏にどんな力が働いているのか――確かなことはわからない。


(とにかく、光永精工の受注実績を作って、これだけ“安全な案件”だと示すしかない。田所さんもいつまでも渋ってはいられないはずだ)


 小池は頭を振り、書類のデータを再確認する。かつての預貸率や融資実績なども洗い出し、「この保証制度で融資できないならおかしい」と納得させる材料を少しずつ積み上げる。エリカやタカシに共有する文書を整えながら、小池は心の中で強く誓った。


 深夜近くまで灯が消えない事務所の窓に映る街並みは、穏やかな夜の姿を見せている。しかし、その穏やかさは表面的なものかもしれない。けれど小池は、伴走支援の力を信じて、一歩でも前へ進めるように奮闘するのみだ――。










 
 
 

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