小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第41話
- 小池 俊介
- 5月16日
- 読了時間: 9分

第41話「閉ざされた営業」
朝の光が工場の入り口を淡く照らしていた。あの「元請企業の海外移転」という厳しい現実を突きつけられてから、フォレスト事務所の小池、タカシ、エリカ、そして森診断士の四人は再び光永精工を訪れることになった。
前回の訪問後、彼らは可能な限りの情報を収集していた。森は地域の商工会や業界団体に問い合わせ、タカシは国内外の市場動向や競合状況を調べ、エリカはネット上での評判やSNS、WEBサイトの有無をチェック。そこから見えてきたのは、光永精工がほとんど営業活動を行わないまま、数十年にわたり大手メーカーの下請けを続けてきたという事実だった。
「営業、ほぼゼロだったんですね……」
エリカは工場に向かう車中でそう呟き、手元のタブレットを見つめる。「光永精工さんのWEBサイトがあったにはあったんですが、最終更新日が数年前。その上、SNSの公式アカウントは見当たりませんでした」
タカシは深く息をつき、「今どきWEBの力なしで新規顧客を獲得するのは厳しいですよ。しかも、何十年もの取引が当たり前だったから、新規営業の手段を考える習慣がなかったんでしょう」と言う。
エリカはその言葉に頷きつつも、心の中で複雑な思いを抱えていた。父が経営していた工場も、似たような理由で廃業に至ったことを思い出すからだ。「営業せずとも、昔は仕事が来ていた」。しかし、それは一度大きな変化が起きると、あっという間に崩れてしまう砂上の楼閣である。エリカはその事実を嫌というほど身をもって知っていた。
そうして考えを巡らせるうちに、車は光永精工の正門に到着した。光永精工の隣地は空き工場となっていて、極端に小さく’借主募集’と表示された看板には地元の有力事業者の名前が力強く書かれている。そのアンバランスさがこの地域の複雑な状況を示しているようにも感じられた。前回訪れたときと同様、工場の前には古びたトラックが数台停まっているが、作業している様子はうかがえない。
四人が工場に入り、社長室へと通されると、光永精工の社長・光永茂が倉庫から戻ってくるところだった。作業着の袖には油汚れがあり、長年現場に立ってきたことを思わせる風貌だ。「おはよう。朝から何か用か?」と不機嫌そうに言いながらも、少しは彼らを受け入れる姿勢が見える。
森が笑顔で「お忙しいところ、すみません。私たち、少し調べ物をしてきまして……」と切り出すと、光永は「調べ物?」と首をかしげた。
「はい。御社がかつて扱っていた部品や案件について、もう少し詳しく知りたくて。実は、大手メーカーさんの仕事以外にも、多少なりともやり取りがあったんですよね?」
小池がそう問いかけると、光永は曖昧に答える。「まあ、たまに細かい部品の加工を請け負ったりはしてたかな。でも、ああいうのは単発で、たいした数にならんよ」
タカシは事前に得た資料を取り出しながら言う。「実は、以前“お断り”した案件が、少なくとも十数件はあったようですね。過去のメールフォルダや受注履歴から判明しました。しかも、その中には悪くない条件のものも含まれているようでした。」
光永は意外そうに目を見開く。「お断り? 大手メーカーの案件で忙しかったときは確かにあったかもしれないが……そんなにあったか?」
エリカが手元のメモを見ながら補足する。「ええ、メールのやり取りを見ていると、忙しかった時期に断った案件がいくつかありました。その後も取引を試みていないようです。受注が減った今、そのリストを再活用できるかもしれません」
光永は口をへの字に曲げて、声を落とす。「そうか…。確かに、大手からの注文が一気に来て、手が回らず断ったこともあった。あのときはまさかこんな事態になるなんて思ってなかったからな」
小池が静かにうなずく。「つまり、今後は大手メーカーの下請けに依存しない形で、取引先を増やしていく必要がありますね。しかも、御社は長年の職人技を生かして、精密な加工ができる。そこに勝機があるかもしれません」
光永は「職人技」と言われると、ほんの少しだけ眉が動いた。「俺たち、そんなたいそうなもんじゃないが……まあ、昔から細かい加工は得意なほうだと思う」
エリカが続ける。「今はSNSやWEBを使って発信することで、少量多品種の案件を拾うチャンスがあります。大手のように大量生産は難しくても、小回りの利く技術を活かして試作や特殊加工を受けるとか」
光永は「営業なんて苦手だしなあ……」とぼやくが、その表情には先日までの諦めとは違った揺らぎが感じられた。
そこに、小池がファイルを広げる。「実は、タカシ君が作ってくれた決算書分析資料の中で、利益率が顕著に高い取引先がいくつか見つかったんです。これらは大手メーカーの下請けとは別の小ロットの受注案件です。社長、お心当たりはありませんか?」
光永は首をひねり、「なんだったかな。ちょっと面倒な加工とか、急ぎの小さな依頼が何度かあった気がする。ああいう仕事は短期で終わるけど、単価は悪くなかったかもしれん」と応じる。
小池はその反応を聞いて、紙に目を落としながら考え込む様子を見せる。「なるほど。その路線を伸ばせれば、利益率の高い新規案件を確保できる可能性があるかもしれません。しかも、お断りした案件リストにも、似たような特殊加工や特急対応の依頼が含まれていました。これ、うまく組み合わせられないでしょうか」
光永は少し驚いた様子で、「一度断っちまったけど、また振ってくれるかな……」と呟く。するとタカシが勢いよく頷いて、「そこでSNSやWEBサイトのリニューアルが活きるわけです。断られたと思っているお客さんも、今なら対応可能だと知らせれば、再び声をかけてくれるかもしれないじゃないですか」と言った。
一方、エリカはパソコンの画面を見せながら、「実際、他の町工場さんでも、同じように小ロットや試作に特化して生き残りを図っている例がありますよ。もし社長がGOを出してくださるのなら、すぐにでも発信を開始します」と力を込める。
光永は困ったように頭をかき、「でもよ……俺は営業なんて本当に苦手なんだ。昔から、仕事は向こうから来るもんだと思ってたし…」と声を落とす。
そこへ、森が落ち着いた調子で口を開く。「光永さん、そのお気持ちはわかります。ですが、このままでは数か月で資金が底をつき、倒産の可能性が高い。確かに新しい取り組みにはリスクもあるかもしれませんが、今のまま何も変えない方がよほど危険ではありませんか?」
光永は沈黙し、俯いて考え込む。しばらくしてから小さく息をつき、「わかったよ。じゃあ、その……SNSだかWEBだかに頼ってみるか。お断りした客先にも連絡を取り直す、っていうのもやってみるよ」とつぶやく。その言葉には、やや躊躇が残るが、一縷の希望を求める必死さも感じられた。
―――

そこへ、事務所の扉が開き、田所支店長が姿を現す。少し前に工場内を巡回していたらしい。光永と顔を合わせると、田所は神妙な面持ちで「社長、今の状況だと弊庫としてはリスクが大きすぎると言わざるを得ません」と切り出した。
「お客様からすれば、もっと攻めるというのも選択肢かもしれませんが、まずは貸倒リスクの管理が最優先になりますので……」
光永は「どうせそうだろうよ……」と唇を曲げる。小池が「田所支店長、私たちが具体的な再建策を提案中です。ここまでの分析では、受注開拓の余地があると考えています。ぜひ前向きにご検討いただけませんか」と訴えるが、田所は申し訳なさそうな顔で首を横に振る。
「私もできれば、社長を助けたいと思っています。しかし、甘い絵空事に乗って、万一貸し倒れが発生すれば、信用金庫としての責任が問われますので……」
そう言い残し、田所は足早に去っていく。その背中を見送る光永の目に、苛立ちと諦めが混ざった表情が浮かぶ。だが同時に、小池の懸命な姿を見る田所の目にほんの少しだけ迷いがあるように感じられた。
「……ま、銀行は銀行だろう。俺にはどうせ無理なんだろうよ」
光永がぽつりと呟くと、エリカが力を込めて「そんなことありません。まだやれることはたくさんあります」と言い返す。その瞳には、家業を失ったときの無念を晴らしたいという思いが見え隠れしていた。
―――
その日の夕方。フォレスト事務所に戻ったメンバーは、それぞれが集めた資料をテーブルに並べていた。タカシがまとめた決算分析や利益率の高い案件リスト、エリカが引き出した「お断り案件リスト」のメール履歴、森が各種補助金や新しい販路拡大策を調べた書類などがずらりと並ぶ。
「これを全体的に整理すれば、光永精工さんがどこで勝負できるか、見えてきそうですね」
森がそうつぶやくと、小池は一枚の紙をじっと見つめ、「このあたりの案件が面白いかもしれない」と指をさした。タカシの調査資料を読み込み、「高い利益率」「短納期」「長尺旋盤加工」というキーワードに何か光るものを感じたようだ。
「ここに可能性が隠れていそうだ。大手下請けじゃない道が開けるかもしれない」
その声にエリカも反応し、画面を覗き込む。「確かに、これらの案件は通常の大量生産とは違う、小ロットならではのニーズがあるみたいです。しかも、競合が少ないから、単価も高めに設定できる傾向があるみたい」
タカシは「さすがだな」と感心したように言う。「一つひとつのデータは点だけれど、小池さんには線や面に見えるんですね」
小池はもう一度表情を引き締めながら「まだまだ分からないけど、踏み込めば意外なチャンスがあるかもしれない」と答えた。
森が微笑みを浮かべ、「皆さん、これで一筋の道筋ができましたね。閉ざされていた営業の扉を開く鍵になるかもしれない」とまとめる。
エリカは改めて気を引き締め、「私も明日から、この方向でSNSやWEBの発信案を作ります。断った案件リストにも連絡をとれるよう、社長と相談してみますね」と意気込んだ。
こうして、光永精工が長年背を向けてきた「営業」という未知の領域に踏み出す準備が整いつつある。まだ田所支店長は「リスク管理」を理由に冷淡だが、その一方で小池たちの努力をどこか認める素振りも見せ始めている。
大手メーカーへの依存が絶たれ、閉ざされた営業の扉をこじ開けるかのように、新たな顧客探しが始まる。そして、かつて断ったまま放置していた客先リストや、利益率の高かった小ロット案件が、光永精工を再生に導くかもしれない。
エリカは自宅へ帰る車の中で、ふと思う。自分が経験した倒産の痛みは消えない。しかし、同じ苦しみを光永社長に味わってほしくない。その思いが彼女の行動を支え、小池の鋭い洞察が事態を動かすきっかけを作った。
夜の街を見つめながら、エリカの胸には確かな決意が芽生えていた。光永精工には、まだ可能性がある。閉ざされた営業の壁を打ち破り、未来を切り拓くことは不可能ではない――。
こうして、フォレスト事務所は明日からの行動計画を固める。小池の細やかな分析、タカシの財務視点、エリカの情報発信力、そして森の指揮のもと、彼らは一丸となって光永精工の再建に挑むのだった。表面上はうまくいっていないように見えるが、確実に小さな光が差し込み始めている。
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