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小説 フォレスト中小企業診断士事務所〜伴走者たちの協奏曲〜第27話




第27話「本部勤務の迷宮──成果と組織のはざまで」


 中小企業診断士の資格を取得したばかりの小池は、ある春の日、本部勤務への辞令を受け取った。新しい役割は「経営支援チーム」の一員として、海側エリアにある15店舗の支店を統括しながら取引先の経営改善を行うこと。心の底では「これで経営者の力になれる」という期待があったが、同時にどんな世界なのか想像がつかない不安もあった。


 小池の初出勤は、朝早くから始まった。まずは部長のもとに行き、辞令内容の細部を聞く。開口一番、斎藤部長は暗い声で話し始める。


「お前が噂の診断士か。悪くない成績だが、ここは甘くないぞ。“要管理債務者リスト”の企業を担当してもらう……気を引き締めてやれよ。」


 唐突に聞こえてきた“要管理債務者リスト”という言葉に、小池は思わず眉をひそめる。部長が言うには、過去に不良債権化しそうになった融資先や、リスケジュールしたものの再建できず破綻した企業名が一覧になっているらしい。


部長は半分脅しのように、

「本部は数字で動く。結果を出せないなら責任を追及されるんだ。まあ、お前は若いし、どこまで踏み込めるか見ものだな。」

 小池は胸の奥にざらつくものを感じつつも、「はい、精一杯やります」と答えるしかなかった。


 本部勤務となった小池に最初に与えられた仕事は、所轄15店舗を巡回し、融資案件や経営支援の進捗を確認することだった。スーツの襟を正し、支店に入ると、まるで“お偉いさんが来た”といった空気が漂い、古参融資担当たちの視線は冷たかった。

「結局、上から来た若造だろう。現場のことなんて分かるのか?」

 聞こえないふりをしながら、小池は支店長室へ。そこでは融資責任者や支店長が集まり、最近の不良債権やリスケ案件について説明を求められる。小池は数字を示しながら「ここを改善すれば……」と口を開くが、融資担当の一人が鼻で笑うように言った。


「本部は現場の苦労を知らないから、簡単に事業性評価なんて言えるんだよ。どれだけ汗かいても、貸倒になったら全部こっちの責任だ。」

 小池は言葉に詰まりつつも、「しかし、経営者の課題を把握して手を打てば――」と返す。けれど支店側は、すでに上層部からの“リスク管理厳格化”の通達を恐れていた。背後にあるのは、部長や役員といった“数字に厳しい”上層だけでなく、さらにその上――金融当局や監査を意識した姿勢であるという雰囲気が伝わってくる。


 巡回の途中、小池はかつて同じ支店の先輩でもあった田所と久々に顔を合わせた。田所は当時“主任”クラスだったが、今は支店幹部として融資部門をまとめているらしい。 

 小池が「お久しぶりです」と声をかけると、田所は少し苦笑いを浮かべる。


「出世したんだってな。本部で企業支援とか、立派な仕事をしてるそうじゃないか。しかし上がどう動くか分からんぞ。そっちでも大変だろうに。」


 田所の言い方には、かつての厳しさよりも“どこか背後を恐れている”ようなニュアンスが混ざっていた。小池はその微妙な表情に気づきながらも、深くは聞き返せなかった。 

 思えば、田所はかつて「融資とは貸した金を回収することだ」と言い放っていた人だが、今は別の苦悩を抱えているようにも見える。小池は複雑な気持ちで支店を後にする。


 支店巡回を終え、ようやく自席に戻った小池を待っていたのは、膨大な資料作成の業務だった。部長や役員が出席する会議のために、各支店の不良債権リスクや再建案件の進捗をまとめる必要があるという。毎日のように続く会議とレポート作成に、小池の時間はほとんど奪われていく。



 そんなある日、部長は小池を呼び止めて、例の“要管理債務者リスト”をちらと示しながら言い放った。

「このリストの企業は要注意だ。過去に倒産したか、リスケから回復せず破綻した例もある。お前も派手に支援なんかして、万一貸し倒れが出たらどうなると思う?」

 部長の目は小池を試すようでもあり、半分脅すようでもある。チラリとリストをのぞくと、小池がかつて関わりを持った企業名が並び、一気に胸がざわつく。“あの会社はこんな形で記録されているのか”という事実に、何とも言えない複雑な感情が湧き起こる。


 本部での仕事はとにかく“数字”がすべてだ。経営支援チームと言えども、実際に企業を巡回するよりは、各支店から上がってくるデータを整理し、部長や役員、さらには監督当局に提出する書類を作るのが主になる。 

 小池は「企業との直接面談」を期待していたが、実際には週に一度あるかないか。ほとんどが報告用の資料作りだ。会議では、部長が大きな声で「このエリアの経営改善が遅れている」と詰問し、小池が数字を説明しては「結果が出ていない」と叱責される毎日。 

 幹部クラスたちは出世をかけて互いにしのぎを削っており、誰もが保身に走る様子がうかがえる。小池が「実際に現場で経営者と会ってこそ解決策が見つかる」と主張しても、誰も真剣に耳を傾けようとはしない。


 そんな環境の中で、小池がかろうじて支えられたのは、時折行う支店同行訪問での成功体験だった。とある地方の食品会社を訪れた際、社長が「売上は悪くないのに、常に資金繰りに苦労してる」と嘆き、小池が帳簿をじっくり見て具体的なコスト削減案を提案したところ、社長は数ヶ月後にはキャッシュフローを改善させてくれた。


「小池さん、本当に感謝しています。あの提案がなければ今頃もっと苦しかった。」

 喜びの言葉をもらうたびに、小池は「これがやりたかったことなのに、現場に出る時間が少なすぎる」と心苦しく思う。 

 部長や役員の前でこの成功事例を報告しても、「実績として数字を上げろ」だけで、その方法論や現場でのヒアリングについては深く評価されない。上層部にとって重要なのは“数値上の貸倒リスク削減”と“信用金庫の利益拡大”であり、経営者の想いや課題に寄り添う姿勢は二の次に見える。


 再びある支店を巡回した際、かつての先輩・田所は複雑そうな顔を浮かべ、こう呟いた。


「上がどう動くか分からないからな……俺も勝手な判断はできん。お前だって本部でいろいろ大変だろ?」


 田所自身も支店で融資をまとめる立場になったが、本部の自己査定や監督当局を恐れている節がある。小池はかつて田所から“融資とは貸した金を回収すること”と叩き込まれたことを思い出すが、今の田所はもっと別の何かに怯えているかのようにさえ映った。

 


 小池が抱いていた「本部なら経営者支援を思う存分できる」という理想は、現実の組織論理に阻まれ、早くも音を立てて崩れつつあった。 

 帰りの電車ではいつも疲れ果てたまま資料を見直し、翌日の会議資料に赤ペンを入れる作業を延々と繰り返す。数字で業績を示さなければならない。だがその数字を作るために現場で汗をかく時間が取れない。


 ふと小池はため息をつく。

「これは本当に、経営者の力になる仕事なのか……?」


 出世を望むなら、本部内で役員の期待に応え、数字を上げる方が得策だ。しかし自分がやりたいのは、もっと現場で経営者と直接向き合う仕事のはず。冷酷な“要管理債務者リスト”を眺めるたび、過去にやり取りのあった会社の社長の顔を思い浮かべやるせない想いが込み上げてくる。その企業一つひとつにドラマがあるのに、上層部は単に“不良債権予備軍”とラベリングしているだけなのか、と胸が痛む。


 さらに追い打ちをかけるように、部長や役員から「この数字じゃ物足りない。貸倒リスクを徹底的に減らせ」と詰問される日が続く。小池が「とはいえ、企業を支援しないと地域が衰退します」と言っても、

「そんな綺麗事はいい、結果が出なければ意味がない。」

 と一蹴される。部内では幹部候補たちが出世レースにしのぎを削り、互いを蹴落とす雰囲気さえ漂う。先日も経営トップの意向に沿わない言動をした役員が責任を取らされ左遷された。こうしたことは一度や二度ではない。

小池はこうした環境や組織慣習に言いようのない閉塞感を覚える。


 限界を感じ始めた小池は、静かに思う。「俺は現場で経営者に寄り添う仕事がしたいだけなんだが、いつのまにか組織の数字を作るための歯車になっていないか?」 

 頭をよぎるのは、居酒屋店で得た“経営改善の喜び”や、渡辺木工所を救えなかった“悔しさ”。その感情が小池の胸を締め付け、同時に「いつか現場に戻って、伴走型支援を貫きたい」という思いを強めていく。


 周囲の期待は小池を上へ上へと押し上げようとするが、それは自分の本当の理想とかけ離れた道かもしれない。もし出世を望むなら、数字を追い、リスクを避ける組織論理に染まるしかない。だが、それで経営者が救えるのか。 

 そう悩み続けるうち、小池の心と体は少しずつ疲弊していった。


 本部勤務に就いて半年が過ぎた頃、小池はもはや資料作成と会議対応に追われて、実際の企業支援に時間を割くことが難しくなっていた。夜遅くまで資料を作成し、朝早くから支店巡回のレポートをまとめ、部長に見せる──その繰り返し。 

 廊下ですれ違う幹部たちの表情は常に硬く、どこか焦りを含んでいる。誰もが本部やさらに上の監督当局の顔色を伺い、自分のポジションを守ることに精一杯だ。


 部長に呼び出されるたびに、数字だけを詰問される。「あのリストに名を連ねそうな企業を減らせ」と要求されるが、その裏でどんなドラマがあるのかは顧みられない。 

 小池は書類の山を前に、「俺は何をしているんだ?」と自問する日が増えていく。


 そんな夜更け、誰もいないオフィスの片隅で、小池は一人で書類を閉じた。時計は22時を回っている。パソコンをシャットダウンし、暗い廊下を歩きながら小池は決意を新たにする。

「本当の意味で経営者を支援するには、ここでは限界があるかもしれない。現場に戻って、地元企業と直接向き合いたい……。」

 資格を取得し、本部での仕事をこなしてきたが、その理想と現実のギャップに小池は苦しんでいる。サラリーマンとして出世そのものを目的にしたら楽なのかもしれない。

しかし、小池のモチベーションはそんなところにはない。

「地域を支える中小企業を支える、本当の意味での支援が必要だ」

 こうして、小池の“本部勤務”における葛藤の日々は続いていく。しかし彼の胸には、より強い“伴走支援”への思いが芽生え始めていた。 

 やがてこの思いが大きくなり、彼は次のステージへと踏み出すことになる。組織論理に縛られず、経営者と共に走り続けるための道を探しに──。

 
 
 

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